「民意」は錦の御旗か?

翁長知事は、知事選における「民意」を錦の御旗として、辺野古移設の断固拒否を叫び、埋め立てそのものの認可を取り消そうとしている。

例え取り消したとしても、政府が「はいそうですか」と応じる訳がなく、いずれ裁判となり最高裁まで行くことであろう。

この間、多額の費用を掛けて何年も裁判を継続することになり、最高裁の判決が出るころには埋め立てが終わっているだろうし、知事も代わっているだろう。これでは、何のための取り消しだったのかと言うことになる。

結局は、いやがらせをしたいだけで、無駄なカネ(国民の税金)を使って、反対の意思を強調せんがためのパフォーマンに過ぎないのだ。

では、その「民意」とはなにか。知事選の結果を見ると、投票率は64.13%、その内、反対派の翁長候補は360,820票、喜納候補は7,821票で合計368,641票、得票率は52.7%。

これに対し、賛成の仲井眞候補は261,076票で、107,565票の差がある。ただ、中間派の下地候補は69,447票を獲得しているから、賛成又は中間の得票数は330,523票となり、得票率は47.3%、得票差は38,118票しかない。

たしかに、反対派は52.7%の得票率を得て過半数を獲得したが、賛成又は中間派が47.3%であるから、これでは、反対派が県民から圧倒的な支持を得とは、とうてい言えない。

また、県民の関心が高かったわりには、投票率は64.13%であり、投票所に行って意思を表示しなかった有権者は、35.87%もいることを考えると、なさらその意を強くする。

しがって、翁長知事が「民意」を盾にして断固反対を叫び、これを強行に貫こうとすればするほど、47.3%の「民意」は無視され続けることになる。

民主主義の根本は、多様な意見をくみ上げて妥協点を探っていくことにある。そうした努力を一切することなく、一方だけの偏った「民意」を盾にして独善的に政治を進める、これを、世間一般では「独裁政治」と言うのである。
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