イスラム版ディアスポラの先にあるものは?

20015年9月5日、メルケル独首相は、ハンガリーで足止めを食っていたシリアを始めとする中東地域からの難民・移民を受け入れると発表した。

これを契機に、ドイツを目指して中東やアフリカからの難民が堰を切ったように押しかけるようになった。

その通路となった東欧諸国は、その余りの数の多さに驚愕してフェンスを建設して流入を制限すると共に、EUが決定した難民の受け入れ割り当てを拒否している。

東欧諸国にとっては、自国民の生活すらままならないのに、難民を受け入れる経済的余裕なんて無いというが本音であろう。結局、ドイツにたどり着けない難民は、その周辺国でたらい回しされているのが現状だ。

2010年12月18日に始まったチュニジアジャスミン革命から、アラブ世界に波及した「アラブの春」は、リビア、エジプト、そして、シリアにも飛び火した。

その結果、カダフィは殺害され、エジプトにはイスラム政権が誕生し、シリアでは反政府勢力と内戦状態となり、その過程で、ISが誕生した。

リビアカダフィと軍が一体化していたため、カダフィが殺害されると国家そのものが解体されて、元の部族社会に回帰してしまった。

エジプトは軍が健在であったため、国家の解体はかろうじて免れた。一方、シリアはEUや米国が反政府勢力を支援し、ロシアがアサド政権を支援したため、終わりなき内戦となり代理戦争のようになってしまった。

アラブの春」旋風が巻き起こった時は、これで中東も民主化されるのではと期待されていたが、結局は、破壊と混乱をもたらしただけで、「アラブの嵐」に終わった。独裁政治と部族社会しか経験していない国に、西欧的な民主主義を導入しょうなんて、どだい無理な話なのだ。

イラク戦争において、サダム政権を打倒するだけでなく、統治の基盤であったバース党まで瓦解させたことによりイラク国内の情勢は安定せず、クルド人を覚醒させ、ISの台頭を許し、テロの脅威を世界中に拡散させてしまった。

しかも、スンニー、シーア、クルド、ISと4分割されてしまったイラクは国家としての体を成さなくなって漂流を続け、多くの難民を生み出している。

シリアの難民は、米国とEUが、反政府勢力を支援したことによって発生したものであり、その責任の一端は米国とEUにあるのだ。

米国もEUも、天皇制を残し、官僚機構を温存して日本の復興を成功させたGHQのやり方を、もっと見習うべきであろう。いくら独裁政権といえども、政権のみならず国家の統治機構まで根こそぎ破壊してしまっては、元も子もなく、更なる混乱を引き起こすだけなのである。

ドイツ、仏、英、それに、米国が難民受け入れを表明したことは、責任の取り方としては評価できるが、問題は、大量にイスラム教徒の難民を受け入れた結果がどうなるかであろう。

難民の流入は、紀元2世紀のユダヤ人のディアスポラ(離散)を彷彿とさせるものであり、ロシアや欧州諸国に流入したユダヤ人が、17世紀から19世紀にかけて殺戮・略奪・破壊・差別などの集団的迫害行為(ポグロム)を受け、ついには、ナチスによるホロコーストへと発展した歴史を振り返ると、これらイスラム教徒の難民たちが、将来、EU域内で同じ目に合わないと言う保証があるだろうか。

子供が5人や6人いるのが普通のアラブ人が定住すれば、人口減に悩むドイツにとっては、労働力を確保できるという当面の利益は享受できるが、いずれは、人口比が逆転してしまい、キリスト教国の中に強大なイスラム共同体が併存することにもなりかねない。

こうした事態は、極右勢力やネオナチの台頭を許し、いつか来た道で、今度はイスラム版のポグロムホロコーストが起きかねない。

ただ、イスラム教徒達がナチス時代のユダヤ人のように、おとなしく従うわけはなく、へたをすると、今日のシリアのような混乱をEU域内で再現することにもなりかねない。

これまで、メルケル首相は名宰相として称賛されてきたが、9月5日の決定は、EU崩壊のみならず、EUのシリア化への引き金を引いたかもしれないのだ。