本当に強く、逞しくなった日本選手

果たして開催できるのかと世界中をヤキモキさせたリオ・オリンピックが8月21日、テロや大きな事故もなく無事閉会した。

政治的混乱、資金不足、環境悪化、治安上の不安、工事の遅れなどなど問題山積にも拘わらず、なんとか開催にこぎ着け、無事17日間の競技を終了できたのはブラジルやリオ市の努力の賜物であり、その努力に敬意を表したいが、あんな状態でも出来るのだから、日本だったら、余裕だと妙に安心したものだ。

それにしても、閉会式における安倍首相のパフォーマンスには正直驚いた。1国の首相がマリオに扮して登場するなんて前代未聞だ。これには観客もマスコミも大絶賛し、正に金メダル級のサプライズだった。

肝心の競技の方だが、水泳の萩野と瀬戸の金銀メダルを皮切りに、連日のメダルラッシュで、朝起きてテレビを付けるたびに、メダル獲得のニュースが流れるのは気分の良いものだった。

結果はロンドの38個を3つ上回る41個も獲得したのだから、まずまずの成果だろう。

連日の選手の奮闘に感動し、表彰台に上って君が代の演奏を聞く度に、誇りを感じることが出来るスポーツの持つ力は、偉大なものだと改めて感じ入ったしだいだ。



特に目立ったのが、日本人ならではのチームワークの良さと、どんなに不利な形勢になっても、最後まであきらめずにドン場で逆転をして勝利をもぎ取るケースだ。

小柄で華奢な身体で頑張った重量挙げの三宅、初日にいきなり金を取ったレスリングの伊調、登坂、土性、体操の団体と個人総合の内村、男女卓球、バドミントンダブルのタカマツ組などなど数え切れない。

かつては、日本人選手に共通する弱点は、プレッシャーに弱く、肝心なところでミスを犯して敗退することだったが、今回はその弱点を見事に克服して、技術面のみならず精神的にも強く逞しくなったとのが素晴らしい。

特に、400m男子や男女卓球の団結力と強い精神力や、タカマツ組の阿吽の呼吸で機敏に動き回る姿は、涙無くしては見られない感動ものであった。

また、指導者がいかに大きな役割を果たすかを痛切に感じたのも、今回の特徴であった。全階級制覇を成し遂げた男子柔道の井上監督、銅を獲得してシンクロを復活させた井村監督、金メダルラッシュを実現した女子レスリングの栄監督などはその典型だろう。

残念ながら、女子レスリングの吉田は、4連覇達成は出来なかったが、研究しつくされ、しかも、若い選手を相手にして闘い、銀を獲得しただけでも立派なものだ。伊調はそれでも金を獲得したのだから、国民栄誉賞の価値は十分あるだろう。

それにしても、かつて日本が得意としていたバレーとマラソンが惨敗したのは残念だ。バレーは、身長差のハンディを克服することが出来なかったし、マラソンは高速化について行けていなくなった。やはり、陸上競技は黒人選手にはかなわないというのが正直なところか。

20km程度しか走らない駅伝ばかりやっていると、42kmを高速で走りぬく体力気力を養うのは難しいのだろう。

今回、10代選手の活躍が目立ったが、これを糧に、4年後を目指して頑張って欲しいが、それには、施設を作るのも必要だろうが、選手個人にもっとお金を継ぎ込んで育成することの方が、もっと大切だろう。

中国のように国が丸抱えとまではいかないまでも、アルバイトとの掛け持ちで選手を続けさせるようなことは止めるべきだ。

私生活を犠牲にし、自分の一生を掛けてチャレンジしている選手に対しては、国もそれ相応の報いをすべきであろう。

 

常任理事国としての責務を自ら放棄した中国

これをヤブヘビというのだろう。まだ、判決も出ていないのに、裁判は不当なものであり、判決には従わないと明言し、これ見よがしに軍事拠点化を進める。

中国としては先手を打って、少しでも有利な判決を引き出そうとしたつもりが、国際秩序に対する挑発的な態度と受け取られ、逆に、予想以上の厳しい判決を招いてしまった。

7月12日、ハーグの仲裁裁判所が出した判決は、南沙諸島の人工島は低潮高地であり、EEZと大陸棚は認められないと断定したのみならず、「九段線」の存在すら否定し、フィリピン側の全面勝訴、中国の全面敗北となった。

中国は、この判決はただの紙屑であり、無効であり、拘束力はないと反発したが、この判決が覆ることはなく、南シナ海における中国の行動は全て違法行為となったのだ。

判決後初の国際会議となった7月16日のASEM首脳会議において、中国は10か国以上の首脳と会議を重ね包囲網の切り崩しを図ったが、中国の立場を支持したのはラオスくらいで、親中派と目されているカンボジアは、570億円もの援助を約束したにも拘わらず、中立を表明するにとどまり、蜜月関係にあるロシアからも明確な支持は得られなかった。

経済的関係の強いモンゴルやドイツからも支持を受けることができず、結局、17日の議長声明では、中国に配慮しつつも、海洋の安全保障と国際法の順守を謳った議長声明が出され、中国の孤立が一層際立つ結果となった。

中国は、70か国から支持を得ていると喧伝しているが、それがどこの国であるのか、是非、お伺いしたものだ。

英国では、エリザベス女王からは「非礼な国」扱いされ、頼りのオスボーン蔵相も去ったいま、国際法に従わない中国を支持することはあり得ないし、ASEANASEMでもとうていその数にはならない。

これまで、拒否権を持つ常任理事国として、最大限の利益を享受してきたにも拘わらず、国連が存立する基盤である国際法そのものを無視することは、自己矛盾であり、常任理事国としての義務と責任を自ら放棄したものである。 今後も、中国が国際秩序を破壊する行動をとるのであれば、国際社会は、中国に常任理事国としての資格が有りや否やを厳しく追及すべきであろう。

そう言えば、1932年、リットン調査団の報告書を無視した日本は国際的に孤立し、これが、翌33年の国際連盟脱退に繋がったが、中国は、日本と同様の失敗を繰り返さないためにも、この歴史の教訓を鑑とすべきであろう。

 

世界のトラブルメーカー?英国

古くは、第2次大戦の引き金を引いたチェンバレン外相、新しくは、余りにもうさん臭いため、だれも相手にしなかった中国のAIIBに、参加の流れを作って「一帯一路」(中華経済圏の拡大)に手を貸したオズボーン蔵相、そして、今度は、EU離脱によって、西側のリーダー的地位を自ら放棄する選択をさせたキャメロン首相。

今も昔も相変わらず、結束から分断、安定から混乱へと、歴史の流れを逆流せるトラブルメーカーとしての役割を演じているのが英国だ。どうりで、ナチス同様、21世紀最大のトラブルメーカーになりつつある中国と気が合うはずだ。

大英帝国の栄光が忘れられないのか、ドイツやフランスなど欧州大陸の大国と覇を競った習性が抜け切れず、常に異を唱え、独自の道を歩もうと呻吟してきた悪い癖が、今回の国民投票でモロに出てしまい、自分で自分の首を絞める結果となってしまった。

ポビュリズムが世界中に蔓延しつつあるにも拘わらず、英国やEUのみならず世界中に大きなダメージを与えかねない歴史的な大問題を、1回限りの国民投票で決めようとしたキャメロ首相の政治的な未熟さが、完全に裏目に出てしまった格好だ。

国民投票は、一見、「国民の総意を直接問う」と言う意味では聞こえが良いが、その反面、理よりも情に流されやすく、その時の雰囲気で投票動向はいかようにも流されてしまうと言う怖い面がある。

今回は、反移民感情を巧みに利用した離脱派によって世論を誘導されてしまい、いくら残留派が政治的・経済的なデメリットを理論的に説いても聴く耳をもたず、反発を強めただけであった。

案の定、EU離脱が決まった瞬間、世界は大幅な同時株安になり、EUドミノ現象を防ぐため、英国の引き延ばし戦略に乗らず、早期の離脱手続きの開始を求めた。

英国国内では、こんなハズではなかったと怨嗟の声が上がり、再投票を呼び掛ける署名が350万人以上も集まっているようだが、もう後の祭りで覆水盆に返らず、世界はすでに英国のEU離脱後に向けて走り出している。

その行きつく先は、英国の国際的地位の低下と経済的衰退、そして分裂、EUの再編成、世界秩序の再構築だ。これが一段落するまで、世界の政治・経済は混乱し不安定な状態が続くのだろう。

その時、イギリスは消滅し、イングランドとして欧州大陸の端っこに位置する小国になり下がっているのだろうか?

移民憎し、EU憎しの目先の利益に捉われて大局を見失った英国民は、2016年6月23日を機に、その大きな代償を支払わされるのだ。そして、その最大の被害者は世界なのだ。かつて、世界の7つの海を支配した大英帝国の栄光は今いずこ。

それにしても、伊勢志摩サミットで、安倍首相が主導して、将来、リーマンショック級の経済的混乱が起きる可能性が高いとして、財政出動で合意していたことにより、G7の対応は迅速に行われ、混乱の拡大は最小限に抑えることが出来そうだ。

すでに、この時点で、英国のEU離脱を予測していたのであろうか。もし、そうであれば慧眼であったと大いに評価されるべきであろう。

また、消費税の引き上げを延期したことも大正解であった。改めて、民進党にはまかせられないとの思いを強くした、この数日間であった。
 

今、「そこにある危機」を直視しょうとしない日本国民

伊勢志摩サミットやASEANでの批判、米軍の自由航行作戦と、四面楚歌にも拘わらず、南シナ海での軍事拠点化を進め、しかも、国際司法裁判所の判決には従わないと明言した。これは、中国は、自分に都合の悪い国際法に従わないことを宣言したようなものだ。

そして、南シナ海の軍事拠点化が一段落ついたところで、次に手を出したのが東シナ海だ。

6月9日、尖閣接続水域に軍艦の侵入、続く15日には、情報収集艦による鹿児島県沖の領海侵入、そして、翌16日には北大東島周辺の接続水域内を航行した。

これら一連の軍事行動は、南シナ海における中国軍の行動を批判し続ける日本に対する意趣返しと、東シナ海で行われていた日米印海軍の演習に対する牽制と情報収集であろうが、中国軍が、東シナ海における軍事行動のレベルを一段とアップさせたことは間違いない。

中国は、在日米軍に関するトランプ発言、沖縄における反米感情の高まりに呼応して、日米両国の反応を試しているのだ。

今、正に、在日米軍の「抑止力」が問われているのだ。米軍の反応が予想以上に強いものであれば、少しは手控えるだろうが、弱いと判断すると、もっと大胆な軍事行動に出るだろう。

このような危機に直面しているにも拘わらず、国民の反応は鈍い。参議院選挙の関心事は、相変わらず、景気、年金、雇用などの経済問題で、外交・安全保障は10%程度と低く、ことここに至っても、平和ボケは相変わらずだ。

いや、中国海軍の軍事行動が何を意味するのかすら、分かっていないのだろう。軍事教育を一貫してタブー視してきた戦後教育の弊害がここに現われているのだ。

野党第1党の民進党は、票欲しさに、安保法廃止を掲げて共産党と野合し、とても、国政を任せられる状態ではなく、ましてや、国の安全保障などとてもじゃないが危なくて。

そして、肝心の沖縄では、革新団体主催の追悼集会で海兵隊撤退を決議する始末で、これに、翁長知事も出席したというのだから、この人の頭の中はどうなっているのだろうか。

沖縄戦や戦後の苦難の歴史を振り返れば、辺野古移設反対、基地負担軽減、地位協定の見直しを求める気持ちは分からぬわけではないが、沖縄県尖閣諸島が益々危機に直面しつつある現状を直視することなく、「抑止力」の重要な一端を担っている海兵隊撤退決議に賛同するのは、どんな神経をしているのだろうろか。

物事を一面しか捉えられない人物に、沖縄県政を任せてよいのか、沖縄県民は冷静に考えるべきだろう。

何だろう、この微妙な空気は?オバマ大統領の広島訪問

5月27日、オバマ大統領が広島を訪問した。原爆資料館を見学し、慰霊碑の前で花輪をささげ、17分に及ぶ悼辞を通じて、格調高く、核兵器のもつ残忍さと、核廃絶の重要性を訴えたことは、被爆者のみならず、国民やマスコミに好意的に受け取られ、一定の評価を受けた。

聞くところによると、大統領自ら原稿を推敲したというから、その思い入れは相当なものであったのであろう。

インタビューに応じた市民の誰もが、これを契機に、世界の核保有国が核兵器廃絶実現に向かって欲しいとの願いを表明したが、本来であれば、マスコミもこれに同調して、もっとこの問題をとりあげ、核廃絶に向かって強くアピールすべきところであるが、なんとなく、醒めた感じがすると思ったのは、自分だけであろうか。

現在、世界中で進行しつつある厳しい現実を見るにつけ、大統領の意を尽くした言葉も空しく響くばかりである。

米軍の海外からの撤退論やTPP反対を叫ぶトランプ氏の孤立主義が、多数の米国民の支持を得、英国のEUからの離脱問題、EU諸国の難民排斥運動、中国の国際法を無視した傍若無人の行動、プーチン大統領の核使用発言、そして、国連の度重なる非難決議や制裁にも関わらず、核兵器開発を継続し、ミサイルの発射を繰り返す北朝鮮などの一連の行動は、これまでの国際協調主義から国益優先主義への転換の流れを強く印象付けるものである。

こうした、国益優先主義の行きつく先は、バランサーや調停者不在の弱肉強食の帝国主義への回帰であり、それは、核の分散、核兵器の先制使用へと繋がっていくのだ。

これは、日本にとっては、戦後一貫して堅持してきた、日米安保を前提とした平和主義、国際協調主義、とりわけ、米国の核の傘によって保障されていた非核主義が破たんし、現在、北朝鮮が置かれているのと同じ立場に立たされることになるのだ。

沖縄で米軍基地撤退を叫んでデモをしなくても、米軍は撤退するだろう。そうすれば、即、中国は核恫喝の下に、沖縄のみならず、日本列島周辺海域には中国の漁船が押しかけ、中国の軍艦や戦闘機が周回し、沖縄は中国の影響下に置かれてしまうだろう。

米軍の庇護下に安住し、自分の国は自分で守る気概も能力もない日本は、強国の下にひれ伏すしか、生きる道はないのだ。

オバマ大統領の言葉が、実現不可能で、空しく響くのは、こうした情勢が背景にあるのだ。
 

トランプ大統領誕生に備えて核武装論議を

瓢箪から駒」ならぬ「瓢箪から怪獣」が出てきたのが、米国の大統領予備選挙だ。

これまでの米国の国是を完全に否定するトンデモ発言を繰り返し、最初は、その内消え去るだろうと泡沫候補扱いだったが、余りにも刺激的な発言をするためマスコミが大きく取り上げたことによって、逆に人気が上がり、あれよあれよという間に、並み居る候補者をなぎ倒して、気が付けば対立候補がだれもいなくり、共和党候補としてほぼ確定してしまった。

一般大衆が抱いている生活や政治に対する不満をピックアップして、自分なら全てを解決できるとマスコミを通じて執拗にアジルことによって、一般大衆は、トランプなら本当に実現してくれるかもしれないと錯覚したのだ。ちょうど、オバマが「チェンジ」と叫んで大統領になったように。

「チェンジ」の内容が具体的にどのようなもので、どのようにチェンジをするかを深く吟味することなく、大統領に選んだことによって、中国を増長させて南シナ海への進出を許し、ロシアにクリミアを奪われ、ISを誕生させてテロを世界中に蔓延させ、ついには、世界の警察官としての役割を放棄してしまった。

これと同じように、トランプ氏の口から飛び出すトンデモ発言は、相互の関連性や実行の可能性、世界の秩序に及ぼす影響を全く無視した、ヒトラーを彷彿させる究極のポピュリズムであり、アジテーターなのだ。

最も懸念されるのは、世界の警察官どころか、軍事面での関与も否定したことだ。

もし、米軍がアジアから撤退すれば、当然、日米安保条約は破棄され、それに伴って、第2次朝鮮戦争、中国の台湾侵攻、尖閣のみならず沖縄に対する侵攻、南シナ海の完全支配、そして、第2列島線の確保へと発展し、太平洋の西半分は中国の勢力下に置かれることになる。

その結果、米国の太平洋における最前線は、韓国~日本~台湾~フィリピンから、グァム~サイパン~ハワイの線に後退し、米国の威信や影響力は著しく低下し、超大国から普通の大国になってしまうだろう。

日本は、中国との戦争を覚悟するか、中国の軍門に下って、尖閣を放棄した上に、沖縄に中国軍の駐留を認めるかの二者択一を迫られることになる。

もし、日本が前者の道を選ぶなら、憲法改正は当然のことながら、防衛費を大幅に増大して自衛隊を増強し、核武装をしなければ、中国の軍事的脅威に自力で対抗できなくなる。

トランプ氏は、在日米軍の経費を全額負担しなければ撤退させると明言しているが、現在、日本が負担している経費は、74.2%の7,200億円だが、これを全額負担するとなると、9,700億円と約1兆円になる。

もし、日本が自主防衛力を整備する場合は、最低限、防衛費は現在の2倍から3倍にしなければならないから、そのために必要な経費は10兆円~15兆円に上る。また、兵員不足を補うため、場合によっては、徴兵制も検討しなけばならないだうろ。

そう考えれば、1兆円で済むのなら安いものかもしれないが、国民の理解を得るためには、米国に尖閣を日本の領土と認めさせ、有事の際は、在日米軍自衛隊の指揮下に入れるくらいの要求をしなければならないだろう。なにしろ、在日米軍は、従来の「ガードマン」から「雇兵」へと変わるのだから。

 

いずれにしても、トランプ発言は、日米安保核武装も含めた自主防衛のありかたを見直す絶好のチャンスではあろう。
 

これは戦争!?熊本地震

別府、日田、山鹿、熊本、益城、南阿蘇、八代などなど、懐かしい地名が次々と出て来る。

15年ほど前、久留米に1年半ほど単身赴任していた時、暇に任せて休日には九州各地の温泉を巡り歩いたが、熊本周辺の温泉にもよく行ったものだ。

それが、4月14日、震度7地震で大きな被害を受け、やれやれと思ったのもつかの間、16日には震度6の地震が発生し、被害を更に拡大させた。

熊本のシンボルであった熊本城は天守や石垣が大きな被害を受け、阿蘇神社に至っては社殿が全て崩壊してしまった。

気象庁の発表によると、14日の地震は「前震」で16日の地震が「本震」だという。余震という言葉はよく聞くが、前震というのは初めて聞いた。

その余震だが、もう1週間も続いており、一向に収まる気配がなく、すでに震度1以上の地震が600回を超えたと言う。

それどころか、余震といいながら、震度6や5の大きな地震が何度も襲っており、もはや、本震と余震の区別が付かなくなっている。

また、震源地が、最初は東の大分方面に移動して、へたをすると、四国の中央構造線断層帯に影響するのではないかと心配されたが、今のところ収まっている。

しかし、南西の八代方面に移動しているのが不気味であり、今後、震度6、いやそれ以上の大きな地震すら予想されるという。約400年前にも、似たようなパターンの大地震が発生しているそうだか、今回もそれを繰り返すのだろうか。

阪神・淡路大震災東日本大震災の経験を踏まえ、自衛隊、警察、消防の初動対応は比較的スムーズにいき、また、被災地の自治体の対応や全国の自治体からの支援も、大きな混乱なく行われているようだ。

政府も安倍首相を始め関係各省が次々と対策を繰り出し、東日本大震災時における民主党政権の、見苦しいほど混乱し、右往左往した対応ぶりとは大きな違いだ。過去の経験が生かされているのか、それとも、自民党政権だからなのだろうか。

死者が47人、行方不明者が6人と人的被害が比較的少ないとは言いながらも、ご遺族や家族の気持ちを思うと心が痛み、心からご冥福を祈ると共に、早く、無事な姿で発見されることを願うばかりだが、不明者の発見に膨大な労力を割かれ、それだけ被災者支援が手薄になることを考えれば、無理をせず安全な場所に一刻も早く避難することが大切だろう。

被災地に援助物資がなかなか届かないようだか、大量空輸が可能な米軍のオスプレイを投入し、自衛隊によるプッシュ型輸送に切り替えることから、少しずつ改善されていくのだろう。

そもそも、人員が限られている自治体の職員、しかも、物品の管理業務に不慣れな人が、膨大な量の援助物資を円滑に捌くことは到底不可能であり、11万人にも及ぶ被災者全員が満足する支援を、自治体に期待すること自体が無理な相談なのだ。

災害時に生き延びるためには、自分のことは自分で、それが出来なければ、同じ境遇にある人たちが助け合い、どうしても足りないところを公的機関に頼るのが基本なのだ。

また、トヨタやホンダなども部品製造工場が被災したため、全国規模で生産停止に追い込まれているが、これは、ジャストイントステムの弱点がもろに出たということだろう。

在庫のリスクを自ら負わず、下請けに押し付けるやりかたは、サプライチェーンが円滑に機能して初めて成り立つシステムだから、部品工場の操業停止や交通遮断によって、1つでも部品の供給がストップされると、組み立て現場は在庫を一切持っていないため、今回のように、全ての生産がストップしてしまうのだ。

昔のように、各地に下請けが散在し、底辺の大きい三角形のシステムであれば柔軟に対応できたが、「選択と集中」を追求してきた結果、同じ三角形でも底辺が小さくなっているから、代替生産が難しくなっているのだ。

今回の地震を通じて、自衛隊はプッシュ型輸送の徹底とオスプレイによる僻地への大量空輸、地方自治体は被災地への救援物資の配送、製造業は生産システムやサプライチェーンの見直しなど、新たな課題が明らかになったのだ。

人間は自然には勝てないといわれるが、自然の脅威に立ち向かい、被害を最小限に抑え、迅速に復旧するのは人間の英知と努力だ。これは正に、自然と人間との間で行われる戦争でもあるのだろう。これ以上犠牲者を出すことなく、早く地震が収まるのを祈るばかりだ。