これは戦争!?熊本地震

別府、日田、山鹿、熊本、益城、南阿蘇、八代などなど、懐かしい地名が次々と出て来る。

15年ほど前、久留米に1年半ほど単身赴任していた時、暇に任せて休日には九州各地の温泉を巡り歩いたが、熊本周辺の温泉にもよく行ったものだ。

それが、4月14日、震度7地震で大きな被害を受け、やれやれと思ったのもつかの間、16日には震度6の地震が発生し、被害を更に拡大させた。

熊本のシンボルであった熊本城は天守や石垣が大きな被害を受け、阿蘇神社に至っては社殿が全て崩壊してしまった。

気象庁の発表によると、14日の地震は「前震」で16日の地震が「本震」だという。余震という言葉はよく聞くが、前震というのは初めて聞いた。

その余震だが、もう1週間も続いており、一向に収まる気配がなく、すでに震度1以上の地震が600回を超えたと言う。

それどころか、余震といいながら、震度6や5の大きな地震が何度も襲っており、もはや、本震と余震の区別が付かなくなっている。

また、震源地が、最初は東の大分方面に移動して、へたをすると、四国の中央構造線断層帯に影響するのではないかと心配されたが、今のところ収まっている。

しかし、南西の八代方面に移動しているのが不気味であり、今後、震度6、いやそれ以上の大きな地震すら予想されるという。約400年前にも、似たようなパターンの大地震が発生しているそうだか、今回もそれを繰り返すのだろうか。

阪神・淡路大震災東日本大震災の経験を踏まえ、自衛隊、警察、消防の初動対応は比較的スムーズにいき、また、被災地の自治体の対応や全国の自治体からの支援も、大きな混乱なく行われているようだ。

政府も安倍首相を始め関係各省が次々と対策を繰り出し、東日本大震災時における民主党政権の、見苦しいほど混乱し、右往左往した対応ぶりとは大きな違いだ。過去の経験が生かされているのか、それとも、自民党政権だからなのだろうか。

死者が47人、行方不明者が6人と人的被害が比較的少ないとは言いながらも、ご遺族や家族の気持ちを思うと心が痛み、心からご冥福を祈ると共に、早く、無事な姿で発見されることを願うばかりだが、不明者の発見に膨大な労力を割かれ、それだけ被災者支援が手薄になることを考えれば、無理をせず安全な場所に一刻も早く避難することが大切だろう。

被災地に援助物資がなかなか届かないようだか、大量空輸が可能な米軍のオスプレイを投入し、自衛隊によるプッシュ型輸送に切り替えることから、少しずつ改善されていくのだろう。

そもそも、人員が限られている自治体の職員、しかも、物品の管理業務に不慣れな人が、膨大な量の援助物資を円滑に捌くことは到底不可能であり、11万人にも及ぶ被災者全員が満足する支援を、自治体に期待すること自体が無理な相談なのだ。

災害時に生き延びるためには、自分のことは自分で、それが出来なければ、同じ境遇にある人たちが助け合い、どうしても足りないところを公的機関に頼るのが基本なのだ。

また、トヨタやホンダなども部品製造工場が被災したため、全国規模で生産停止に追い込まれているが、これは、ジャストイントステムの弱点がもろに出たということだろう。

在庫のリスクを自ら負わず、下請けに押し付けるやりかたは、サプライチェーンが円滑に機能して初めて成り立つシステムだから、部品工場の操業停止や交通遮断によって、1つでも部品の供給がストップされると、組み立て現場は在庫を一切持っていないため、今回のように、全ての生産がストップしてしまうのだ。

昔のように、各地に下請けが散在し、底辺の大きい三角形のシステムであれば柔軟に対応できたが、「選択と集中」を追求してきた結果、同じ三角形でも底辺が小さくなっているから、代替生産が難しくなっているのだ。

今回の地震を通じて、自衛隊はプッシュ型輸送の徹底とオスプレイによる僻地への大量空輸、地方自治体は被災地への救援物資の配送、製造業は生産システムやサプライチェーンの見直しなど、新たな課題が明らかになったのだ。

人間は自然には勝てないといわれるが、自然の脅威に立ち向かい、被害を最小限に抑え、迅速に復旧するのは人間の英知と努力だ。これは正に、自然と人間との間で行われる戦争でもあるのだろう。これ以上犠牲者を出すことなく、早く地震が収まるのを祈るばかりだ。