金正恩はカダフィと同じ道を辿る?

せっかく米国が、核・ミサイル実験を中止すれば、対話に応じると手を指しのべたのに、その手を振り払うかのように、7月29日には、日本領空を通過して北太平洋にミサイルを発射し、さらに、8月3日は水爆実験を行い、自ら対話の扉を閉ざしてしまった。

これによって、「金正恩の命」と「核・ミサイル」は益々、密接不可分の関係となり、一切妥協することが出来なくなってしまった。

現在、国連において石油禁輸を始めとする経済封鎖について議論されているが、それにも拘わらず、北朝鮮では新たなミサイル発射や核実験の兆候が見られることから、いかなる制裁決議にも耳を貸さず、強行するつもりなのだろう。

国内における記念日にかこつけて、ミサイルを発射し核実験をするのは、国民の自尊心を満足させ、正当性が低い金正恩自らの権威と求心力を高めるための「花火」としての役割もあるのだから、いくら国際的な圧力を掛けられても、止めることが出来ないのだ。

むしろ、これに対抗する姿勢を示すことによって、国民の関心を外にそらし、鬱積した気持ちを、一時でも晴らすことによって、自らの命を長らえる有効な手段として使っているのだろう。

問題は、金正恩が目指す核ミサイルの配備が完成した以降どうするかだろう。

完成した以上、これまでのように頻繁に発射や爆発実験をする必要がなくなり、「花火」として使うことも出来なくなる。

このため、当然、内政に力を入れて国民の生活向上に努める必要が生じてくるが、国際的な経済封鎖は格段に強化されているだろうから、経済面での発展はかなり難しいものがあるだろう。

全ての国家資源を核・ミサイル開発につぎ込んできたのに、それが完成しても、国民の生活は困窮したままでは、いったい、何のための核・ミサイルなのだろうという不満が出てくることは十分予想される。

核・ミサイルで恫喝して、経済封鎖を解除するよう国際社会に訴えたところで、国連決議を経ている以上、そう簡単ではないし、日米韓の3か国の核・ミサイル防衛態勢もかなり整っているだろうから、恫喝に屈することは考えにくい。

核・ミサイルがあることによって、イラクのサダムフセインのように、多国籍軍に攻撃されて命を落とすことはないだろう。

しかし、国民の経済的困窮的による不満を解消する術がない以上、いくら強権的な政治を続けても、脱北者の数は増大し、これが、国内の混乱を助長して、カダフィの二の舞になることだって十分考えられるだろう。

独裁政権は必ず崩壊するし、それは、外部の力でなく内からの崩壊なのである。何百個、何百発も核やミサイルを持っていても、これ自体は、そう簡単に使うこともできないし、食うこともできないのだから。